日城聖人

日城聖人

天文12年(1543年)に御津郡宇甘西町宮脇の二宮家にて誕生。

幼い頃から金川妙国寺で修行を行い『化城院』と号した。
吉備郡大和村にある西身延妙本寺へ修行の為に訪れておりましたが、その道中にあった吉川村にて布教活動を行っていました。
吉川村に二間四方の石垣が残っていますが、この高台にて熱心に説教を行っていた様です。

後に妙国寺の第八世の化主となり、鳥取県の大山にある大山寺に行き、大仙一帯の山荒れを封じたと言われています。
しかし、妙本寺や大山寺に日城聖人の文献や口碑も伝わっておらず、吉川村のみ説教場が残っており、口碑が伝わっておるのは実に貴重な事であります。
これは如何に日城聖人が吉川村に影響を与えたかを物語っておる様に思います。

日城聖人の逸話として残っているのは耳鼻を病む者は聖人にお願いする事によってご利益を得た人が多く、全快者は挙って穴の開いた石をお供えしたと伝わります。

そんな日城聖人も元和4年(1614年)5月25日に惜しまれつつ死去。
享年76歳也。

記録はありませんが、日城聖人が吉川村に布教に訪れた時代は難波家の世代としては初代・徳左衛門の辺りになる様です。

吉川村には日城聖人の慰霊碑が建立されています。
この石碑は明治17年に建てられております。
この時代は我が家では三代目徳左衛門(徳太郎)の時代のとなります。
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<<参考>>
書名:吉川誌 出版:田中一雄



by tokuzaemon2484 | 2014-11-20 00:00 | 難波一族と江戸 | Comments(0)

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